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 中庭の池の前で一人佇んでいると、この泉に身を投じてみたくなることがある。
 深い深い、底の見えない泉。
 なのにどこまでも澄んで透明で、この世の穢れなど露ほども感じさせない美しさ。
 栗色の髪に碧瞳の少年は月の光を映し出すその美しい泉に、癒しを求めて毎晩通い詰めていた。
 それはまるで、愛しの君との逢瀬のように。

 ……母は。
 忘れもしない11年前のあの日……。
 この泉に身を投じて、亡くなったのだ。

 彼女が何を患ってそのような結論に至ったのか、当時の自分にはまだわからなかった。
 だが年を経るにつれ噂は否応なしに耳に入ってくるようになり、そしてその意味を解することも難しくはなくなった。
 自分は、父の子ではない。
 母が別の男とひそかに通じて生まれた子供だ……。

 その噂をもちろん父も否定していたが、いつまでも消えることのない話に母は次第に疲労していき……やがて、疲れきってしまったのだろう。
「アレン。これは大切にしてくださいね。本当に必要とする時が来るまで開けてはいけませんよ」
 そう言いながら手渡してきた、小さな巾着袋。
 そのまま母は姿を消した。
 幼い時は、彼女がどこに行ったのかわからなかったし聞かされなかった。
 母の葬儀の時も、何の儀式を行っているのかわからなかった。
 それから数年してからだろうか。
 ああ、母は死んだのだ、と理解したのは。

 臣下達が、母が泉に身を投じたと話しているのをある時耳にした。
 瞬間、目の前が白くなった。
 母は自分を見捨てていずこかへ逃げてしまったのだ……。
 いずこか、というのがこの世にある場所ではないことも理解出来た。

 自分を捨てて逃げてしまったことが悲しかった。
 けれど……自分の手には、母が遺してくれたお守りが残っている。
 どうして彼女がこれを自分に託したのか。
 本当に必要とする時とはいつのことなのか。
 それを今も理解出来ないまま。
 僕は明日、16歳になる。

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□モドル□


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