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 旅立つ前に挨拶しておきたい人物が二人居た。
 ティールと、もう一人……自分をこの歳まで育ててくれた乳母のソニアだ。
 ソニアはローレシアの教会に仕えるシスターである。
 ローレシアの王族は代々教会のシスターに乳母を務めさせていた。

 旅立つ仕度を整えるともはやすでに夕刻。
 出発は明日にしようと考えソニアの部屋の前にやってくると、僕はドアノッカーをそっと打った。
「ソニア……僕だ」
 ほどなくして、一人の女性が扉の隙間から顔を出す。
 歳の頃は30も半ばを数えるところだろうか。

「アーリル様……貴方からいらっしゃるとは珍しい」
「少し時間をもらってもいいか?」
 言われて頷くと、ソニアは僕を招きいれる。
 後ろ手に扉を閉め、僕は大きく息を吐いた。
 その様子を見ながらソニアが口を開いた。

「……先ごろのムーンブルクの話、私も聞いてしまいました……。申し訳ありませぬ、ムーンブルクからの使者が通りがかるのを見てしまったゆえ後を付けて、謁見室の扉の裏でお話を……」
「……聞いていたのか」
 僕は息を引き取った使者のことを思い出し、視線を落とす。
「ムーンブルクがこんなことになって……さぞお辛いでしょう、アーリル様」
「……? ああ……」

 ソニアの物言いに少し引っ掛かる物を覚える。
 が、すぐに同盟国だからという意味か、それとも母の出身国だからかと解した。

「僕よりも父上の方が落胆しておられるだろう。愛していた妻の出身国だ」
「さようでございますね……」
 なにやら煮え切らない雰囲気を醸しながらも、ソニアは続ける。
「……旅立たれるそうで」
「ああ……。先刻の噂を切り捨てるために、ロトの血の証明をしたい」

 ソニアはゆっくりと頷くと。僕の頬に手を添えた。
「……大神官ハーゴンは強大な力の持ち主。自分を滅ぼそうとするものに呪いをかけると言われています。お気を付け下さいまし」
 そういうと手を下ろしてじっと僕を見つめる。
 僕は相手を訝しげに見つめ返すと軽く一礼した。
「それは忠告痛み入る……。……」

 なんだか今日のソニアは挙動が怪しい。
 ますます怪しんで僕は一つ尋ねてみることにする。
「聞いても……いいか?」
「はい、なんでございましょう」
「……ハーゴンを知っているのか?」

 問われ、ソニアは一瞬黙った。
 が、すぐに口を開いた。
「それもさきほどお聞きしたゆえ……。魔物達を操っている闇の者は、ハーゴンと申す邪神官でしょう?」

「そうじゃない。……お前の言い回しが、まるで以前から知っているような口ぶりだった。"強大な力の持ち主"、"呪いをかけると言われている"……ハーゴンのことを知っている者など、今はまだごく少数だろう。魔物達を操る何者かの存在は感じていたとしても……。僕ですらハーゴンというのが一体何者なのか、見当もつかない」
「……。……長らく……尼僧をやっていると、物事の機微に敏感になります……」

 意味深長な間を挟みつつ、ソニアは淡々と告げる。
 これ以上のことは、追及しても聞けそうになかった。
 僕は諦めてかぶりを振ると、
「まあいい。……そういうわけだ、お前に出発前の挨拶くらいはしておこうと思って」

「……ソニアは心配です。アーリル様はまだ子供なのに……。辛くなったらいつでも帰っていらっしゃい」
「……そこまで子供のつもりはないけれど」
 僕は苦笑すると肩をすくめてから踵を返した。

「……生きて帰るよ。心配しなくていい」
「いつまでもお待ちしておりますゆえ……、そうそう、王から伺ったかわかりませぬが……ローレシアの者は戦いの旅に出る時は北東にある、勇者の泉を尋ねるのがならわし。お忘れにならないように……」
 一つ、頷くと僕は部屋を後にした。

 ソニアは何か知っているに違いない、それだけはわかるのだが……何か知っていたところで今の僕には関係のないことなのだろう。
 旅の助けになるようなことなら、ためらわず話してくれたはずだ……勇者の泉について、のように。
 何を口籠っていたのかは旅から帰ったら聞けばいい。

 あとは、ティールか。
 出る際には直接伝えると約束はしてあった。
 ティールの部屋に向かおうとすると、廊下でドーヴィルとすれ違う。
 僕は軽く一礼だけすると、言葉も交わさず立ち去ろうとした。

「せいぜい魔物を倒した数でも数えておくといいかも知れませんな、レイカーリス殿下」
 すれ違いざまに声を掛けられる。
 僕は耳をぴくりと動かしたが、そのまま反応せずにまた足を進めた。
 だが追い打ちをかけるように更にドーヴィルが続ける。
「……どこの馬の骨とも知れない者を父に持つ人間に、一匹でも倒せるかどうか知れませんが」

 その言葉に、頭に血が上るのを感じた。
 思わず振り返り眉を顰めてドーヴィルを睨みつける。
 思った通りの反応をしたことに気を良くしたドーヴィルは、くつくつと笑って僕を見下した。
「何か? 貴方様の父上が馬の骨だとは一言も申しておりませんが?」
 飄々とした言い様に苛立ちを感じる。

 大きく息を吐き出すと、僕は低い声で言った。
「……確かなるロトの血族でありながら何も手立てを打たない臆病者には、闇を討つどころか魔物の首を持ってくることすら不可能だからな。せいぜい馬の骨の討伐記でも楽しみになさっているといい」

 僕の反抗に強く歯噛みすると、ドーヴィルは軽く睨みつけてから、ふん、と鼻を鳴らしてそのまま立ち去った。
 ようやく一息ついた僕は、再び歩き出してティールの部屋へと向かおうとした。
 しかし。
 部屋の前まで来るものの扉の前で立ち止まり、考える。
 先ほどのドーヴィルの言葉を。

 馬の骨……か。 
 ローラント王が父ではないと、まだ決まっていないのに奴はいつも自信ありげに自分を蔑んでくる。
 何か、掴んでいるのだろうか。
 彼に問いただしたい気持ちをかろうじて抑えると、僕は扉のドアノッカーを手に取ろうとした。
 時。
 
「アーリル……出るとはいってたけど、こんなに早く?」
 背中から声をかけられる。
 振り向かなくてもわかる、声の主は今扉を叩こうとしていた部屋の主。

 相手に顔を向けないままに、僕は答える。
「ああ。……ハーゴンの話、聞いただろう。あれの討伐に出ることになった。ちょうどいい口実だ」

「それは聞いた、けど……一人でなんてありえないじゃないか。相手は軍隊を持っているんだろう? ムーンブルクを壊滅させるほどの……。軍とまではいかずともせめて供の者を連れていくぐらいは」
「だからそれは口実だと言っているだろう。……それともお前が供をしてくれるか?」
 僕のやや厳しい口調に、ティールは黙り込む。

 彼にそんな度胸がないこと、その性格を僕は良く知っていた。
 一応自分を慕ってくれてはいるものの、いざという時には父に怯え、臆病で自分を見捨てる人間なのだ。

 それでもそれは本人が「弱い」からであろうし、箱入りで育てられた御曹司であるがゆえのことだろうとも僕は感じていた。
 自分は幼い時に母を失い、出生のことで公爵派の人間から多くの蔑みを受けてきた。

 だから自分で言うのも難だが同世代の他の人間……こと、ティールより自分の内面はずいぶん大人びていると思う。
 世間擦れしているというべきかも知れないが。

 その僕と同じように考えろと、少ない勢で討伐に出ろと、言われて承知出来るはずがないことはわかっていた。
 彼に言ったのは、彼を黙らせるための皮肉。
 相手がどんな反応をするかもわかっていたので失望することも特に無い。

「……ま、そういうわけだから。お前に挨拶するっていう約束もすんだし……明日の朝一番に出るよ。日が昇る少し前ぐらいに出ようと思う」
「……そうか、……旅の無事を祈ってる」

 僕は頷いて、ようやっと相手に身体を向けた。
 それから小さく笑うと
「父上と、国を頼む……」
 呟くように言って場を立ち去った。
 ティールはそれに、頷かなかった。

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□モドル□


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