10

 足が、痛い。
 リリザに来るまでに運よく魔物には出会わなかったものの、沼地に足を取られて足元は汚れる、おまけにそこに落ちてから少し調子が悪い。
 道のりもあまり平坦とは言えず、ぼくは途中で持っていた薬草をブーツの中に入れながらもなんとか凌いでリリザへと辿りついた。
 もはや夜更け。
 途中で野宿して夜が明けるのを待つべきか迷ったけど、レイカーリス王子がリリザに居るかもしれない。
 これ以上すれ違いになるのはまずいと判断して、どうにか痛む足をおして街へとやってきたのだった。

 これで持ち物は数日分のパンと水だけだ。
 今のぼくは一文無し。
 さて、どうする。
 兵士にすべて渡してきたのは失敗したかな、と思った。
 これでは宿に泊まることすら出来ない。

 ここ、リリザの街はこの辺りにしてはまあまあの大きさを誇る街だった。
 旅の者達が立ち寄り、身体を休め、武具などを整えていくのに最適な場所にある。

 夜になってもそこそこの人通りがあり、街には灯りがあった。
 だけど、ぼくにはその街で夜を過ごすための手持ちがない。
「裏で休ませてもらおうかな、……街の外よりは安全だろうし」

 宿屋の裏にやってくる。
 これからの道中、一文無しでどう過ごせばいいのかまったく考えていなかった。
 本当に何とかなるだろうと思ったのだ。
 裏に来ると男が一人、宿屋の壁に向かって何かしていた。
「あのー……どうかしましたか?」

 てっきり具合が悪いか何かしたのだろうと思って、心配になったぼくは声をかけたんだけど。
「わ! いきなり話しかけるな馬鹿野郎、ションベンが足にかかっただろ!」
 怒鳴られてきょとんとしてしまう。
 どうやらこの男はここで立ち小便をしていただけらしい。
 呆れてぼくは溜息を洩らしたけど、男はぼくをじろじろと眺めていた。
「……あの、何か」
「いや、どっかで会ったことないか?」

 宿屋の裏手には表通りの明かりが届かず、ぼくからは男の顔が良く見えない。
 でも相手はしばらくここに留まっていて闇に眼が慣れているのかこちらがわかるようだ。
 一体誰だろう?
「ぼくにはあまり覚えがないんですが、……すみません、お名前は」
「やっぱりそうだ!」
 小気味よくぽんと音を立てて手を叩くと、男はぼくの両肩を掴んだ。
「あんた、サマルトリアのカイン様じゃないかい!?」
「え、ど、どうして」

 慌てて男の顔を目を凝らしてよく見てみる。
 ようやく薄暗さに慣れてきて、相手の顔が見えた。
 たしかに見覚えがある、だけど名前が出て来ない。
「えっと、確か、あの……」
 誤魔化しながらいうと相手は嬉しそうにぼくを抱き締めた。
「トレッドです! いやぁ、こんなに大きくなられて!」

 家庭を持つからと、兵士を辞めていった男の顔。
 数年前のことだったから、すぐには思い出せなかったけど名前を聞いてようやく記憶の引き出しを開くことが出来た。
 確かに、こういう男が、居た。
「結婚したから、兵士を続けて家族を心配させるのが申し訳ないって言って辞めたトレッドさん……、だよね? この街に住んでたんだ」

 少し前まで忘れていたことに申し訳なく感じつつも、知り合いに会えたことでぼくは安堵して頬を緩ませる。
「へい、女房が宿屋の跡取り娘だったもんでそのまま宿の主人に収まらせてもらいやして。いやぁ、カイン王子ずいぶん大きくなられたもんですねぇ! しかしなんでこんなとこにお一人で。この街は治安はいい方ですがね、それでも王子の様な方が一人で出歩いてると危険でさ。もしかしてお忍びで?」
 良くしゃべる男に苦笑いしながらぼくは首を横に振った。

「トレッドさんならローレシアの王子の顔を知ってるよね? 彼を探しているんだ。この街には来てない?」
「ローレシアの、……いや、うちの宿にはとりあえず来てねぇと思いますがそれにしたってなんでローレシアさんまでがこんなところに来てると」
「うーん……あまり詳しい事情は話せないんだ、ごめん……」

 視線を落としてしょんぼりと落ち込むぼくに、トレッドさんは豪快に笑って肩を叩いた。
「いやいや、俺らの王子様のことだ、大事な事情があるんでしょ! そうだ、せっかくですしうちの宿に泊まっていってくださいよ! もちろんお代は要りませんから!」

 本当に運が良い人間、ってぼくのような人間をいうのかも知れなかった。



 ────それにしても彼はどうして自分の家でしないで、家の裏でトイレしてたんだろう?


第三章へ続く



□モドル□


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